真夜中のボトルメール

手紙とか寝言とか

2024年振り返り

2024年を振り返る。永い時間が経っても正しく思い出せるように、いつも詩を書くときと同じくらいの時間で適当に書いた。まあ雑な日記。雑に書いたせいで何度か同じこと(多分大切なこと)を何度か言っているし、その上長くなっちゃったので仮に読む人が居たらだいぶ無礼だなと思うけど、こちとら片付けと修論とその他タスクがまだ残ってるので許してね。

しかし書いていたら思っていたより自分語りできることが多く、また最後は悪い癖で幸福論みたいな話になってしまった。幸福論と言っても、自分なりの生きるコツというか、僕専用にカスタマイズされた幸福論になっているので、いつものような「This is 真実」みたいなスタンスは一切ないということを言っておく。とりあえず、結果的に書き残したい1年になったから書き残すってだけ。

 

こんな導入になってしまうくらいには、今年、生きるためにさまざまな工夫をした。1月は本当に離人症罪業妄想・貧困妄想がひどくて死ぬ思いをした。しばらく前から定期的に訪れていた離人感は、自分という人格の一時的消滅そのものであり、そのたびにいわゆる「死ぬかと思った」の感覚に襲われた。罪業妄想と貧困妄想はまあいつものありきたりな自意識過剰の延長に過ぎなかったが、一月中旬で呼吸困難になって救急車に運ばれた。身体的には何の問題もなく、当時抱えていた「苦しみ」を解決する自信を完全に失った午前3時だった。

なにがそんなに苦しかったのか。離人症罪業妄想という具体的な症状の直接的原因はわからないが、その時期まで慢性的に病んでいたのは確定的で、その病みの原因はある程度解っていた。一つ言いたいのは、僕は自分の置かれた環境を本当に恵まれていると思っていて、そこに対して何一つ不満がなく、にもかかわらず苦しいということが一番苦しかったということだ。端的に言って、自分には苦しむ資格というものが無かった。

 

今年は、つまらない恥は捨てるだとか素直になるだとかのテーマを掲げてきたし、この文章の要所でいちいち仄めかすのが面倒だから先にちょっと恥ずかしい告白をしようと思うが(そもそも、この告白をしないことには今年を振り返ることが難しくなる)、僕は進撃の巨人が連載終了する少し前からある絵の素敵な友達とずっと創作をしていた。(それも恥ずかしいほどに長大で野心的な作品を。)人生で投下した時間量で1位が数学で3位をVALOとするなら、その間に位置するくらいにはしっかりやっていた(読書除く)。

一つよく分からない弁明をしておくと、自分には創作の才能があるとは全く思わないし、だからその苦しみはたいして大きくない。これはほとんどの創作者に当てはまることであり、それは彼らに才能がないということではなく、創作――特に高度な描写技術を必要とする物語作品――に必要な才能が多すぎるということである。(逆に言えば、それら全ての才能を備えていれば、必要な努力をすることで運の要素を一切排除して漫画家等になれると思っているが、そんな人間はまあ多くない。)技術的努力をし続けるしかないと分かっているからこそ、そこに苦しみはないし、唯一自信のある構造的審美眼を犠牲にしてまで欲しい才能でもないから別にいいやって感じ。ちなみに、技術的才能に恵まれていたら脳死で描き続けられただろうし、多分別の種類の幸せが手に入ったとは思うから、難しい。思っていることを画や言葉やエンタメにできないってのはそりゃ萎える。

 

これらを前提に本題に移ろう。まずは2023年までの軽い総括。一言でまとめると、2023年までの5年間、僕は摩訶不思議な失恋をして、その謎をずっと解きたかった。なぜ解きたかったのかというと、自分が幸せになりたかったからである。これは6年間の振り返りになってしまうから要約で済ませるが、自分はかつての失恋を念頭に置きながら、大学の半分以上の学びを哲学と経済学による幸福論と価値論に費やした。もう半分は真理論と認識論、そして形式的真理としての数学である。そして論理と数学では幸福の正体は解明できないという結論に至り創作や文学に傾倒した。

その過程で2023年の終わり頃に自分が持っていた思想は、第一に、「外から受ける温もりと外から受ける痛みは刺激という点で同一のものであり、痛みを感じられなければ温もりも感じられない」。なんなら、「刺激そのものが温もりと痛みに先行するのであって、それは解釈の一歩前にある。すなわち、認識の前に事実がある。」第二に、「精神と肉体は同じくらい充実させる必要がある。」第三に、「人間はそもそも自由ではないし自由である必要もない。」第四に、「人間は生きることために生きるのであり幸福を目的として生きるのではない。その素質のある人間が幸福になるに越したことはないが、人間一般が幸福である必要はない。むしろ、ノスタルジーなき幸福追求は当人にとっての害にすらなり得る」第五に、「人間が身につけるべき最も重要な能力は何かを誰かを信じる勇気である。」……こうやって挙げればきりがないことを列挙しながら、まあ割と真剣に考えてきたんだなって言うのと、これらを経済学でやることは不可能だなっていうのを改めて感じる。(ちなみにこの文章を読み返していても、主観と客観を、宇宙論レベルで真に調和させるのはやはり物語しかありえないのかなと思う。)これら思想は、資本主義では解決不可能な苦しみに対するアプローチという点で共通している。逆に言えば、物質的豊かさで苦しみを除去できるなら、少なくとも彼の閉じた世界においてはそれでかまわないということである。

これら思想は限りなく客観的な真実を求めた結果到達したもので、それゆえに今でも割と真実を含んでいると思っているが、こういう客観的な結論に近づいていくと同時に、自分の個人的な問題により迫ってしまい、それがとてもつらかった。そもそも自分は幸せになりたいだけだった。そこに自分の失恋史が加わるとそれはもう僕の個人的な問題以外ではあり得ない。

すなわち、自分が絶対的だと納得できる思想で自分の苦しみを打倒しようとしたことには、絶対性の後ろ盾に伴う代償があった。前述した五つの思想は「あるがままの痛みを受け入れること」に総括されそうだが、僕は、「受け入れなければいけないことを受け入れた」に過ぎず、「受け入れないと」という意識が上っている限り真に受け入れられたということはできない。僕は自分の個人的な苦しみを「受け入れなければならない」という結論に終わってしまったことが大変に苦しく、その具体的内容は、自分の犯した過去の罪だとか、喪失だとか、セクシュアリティだとかである。あるいは、今後の人生で待ち受けているありとあらゆる苦難であり、それは叶わない願望と確定した喪失、ひいてはいずれ訪れる自分の死に要約される。それら苦しみの全てを幸福に変換することが不可能だという事実は、軟弱な自分にとって背負うに重く、無限に生きられないのなら今すぐに死にたかった。そういうストレスに伴ってゲームに依存する時間が増えていき、昨年末には、8時間寝て、8時間創作をして 、8時間娯楽に触れるというとても不健全な生活になっていた。すべきことをサボってゲームをしていることの罪悪感は、自分の精神状態をより悪化させていった。VALOのアカウントレベルが高いのは恥でしかなかった。

 

さて、そうやって5年かけて熟成された狂気を告白したところで、ようやく2024年の時系列を始めたいと思う。この長すぎる前置きは大学6年間を振り返る大変さを予感させてくれるけど、それを書くのはこのブログでかもしれないし、創作でかもしれない。(今書いてて思うのはこの一年の振り返りすら、エッセイ形式で適当に書くには破綻しかけている。)

たしか1月3日に中学校の親しい友達と同窓会をして、カラオケに行って病み散らかしたのを覚えている。当時は鬱的な妄想の全盛期で、社会的地位のない自分には価値がないだとか、恋愛的に取り返しのつかないことをしてしまっただとか考えていたことを覚えている。友達の語る言葉には、愛を感じたけれど説得力を感じることができず、苦しさは消えなかった。次の日には最も親密な二人の友達が運転してくれて、気付いたときには天山の中腹にある駐車場に居た。当たり前だけどトイレが汚くってそれで笑ってたかな。僕はやんちゃな友達と高血糖の友達のちょうど間を歩いて登っていた気がする。体は元気だったけれど心が疲れ果てていたので、ずっと受け身だったし、あんまりしゃべることができなかった。

霧島神宮で厄払いをして飛ぶように国立に帰ってきた1月某日、いつものように散らかった部屋をかき分け、デスクトップのモニターの前に腰掛けたとき、突然の吐き気に襲われ、就職を控えていた徒歩一分の友達の家にノックしたことを思い出した。あれは思い返すと「モノ酔い」という表現が最も適当で、就活も迫っていたことから、家に入る前から脳内で懸案事項が渋滞していたのだと思う。ちなみに、そのとき友達は彼女と居て、また一つ絶望感の原因になった。ただ一つ言い訳したいのは、もともとその友達に彼女がいることは知っていたし、そのときから嫉妬感は全くなかった。あったのは単に自分だけが過去に取り残されていく感覚で、それは劣等感とも侮辱感とも違う、単に共に童貞だった純粋で青年的な日々が過去のものになってしまったことがつらかった。自分はずっと大人になりたくなかったのだと思うし、今も多分大人になりたくないんだと思う。一方で、ある部分において、自分を客観視する能力に長けているから、昔から大人びていると言われてきたし、大人というものがどういうものなのかはずっと前から知っていた。少なくとも反抗期はなく、父も母も昔から尊敬していた。しかし大人特有の打たれ強さを、心の底から欲しいとは思えなかった。とにかく、僕はずっと、青年時代の自分と、友達と、自分と友達の関係性を愛していたんだろう。

23歳にもなって家族から誕生日プレゼントを買って貰えるらしかったので、8年ぶりに万年筆を買いに行った。もともとは、昔買ったペリカンのスーベレーンのもう一回り大きいものが欲しかったのだが、なんとなく一人で買うことに乗り気になれず、一度退店して友達に同行を求めた。店の万年筆に詳しい人にペリカンを含む何種類かの万年筆を試筆させてもらって、友達にも書いてもらった。(彼も良い字を書く。)結局、名前の知らない国産の万年筆を買った。人を自分の買い物に付き合わせたのは少なくとも最近では初めてだった。日頃使うその高価な万年筆を通じて、その友達を思い出したかったんだと思う。

この時期にはTwitterのアカウントも作って、とにかく素直に生きようと決めていた。恥ずかしくて好きを言わないとか泣かないとか、誘いたいのに断られるのが怖くて誘えなかったりとか、友だちを独り占めしたいと素直に思ったりとかである。そういうメンタルになったのは、また後述するが、成長というより何もかもどうでもよくなっていたからに過ぎない。生きて来年を迎える自信がなかった自分にとって、そういう躊躇いはぜんぶ時間の無駄に思えた。SNSも復帰して、鍵垢癖もきっぱりやめて、書きたいことを好きなだけ書き、いいねと思ったらいいねをした。(まあ、好きな人間の投稿にはだいたいいいねと思うものである。悔しいけれど。)今はかつて強かった承認欲求があんまり自覚できない。どちらかというと、これは排泄欲に近い気がしている。体の排泄物(うんこ)は自然に帰すためほとんどの人に見せずに済むのだが、心の排泄物は周囲の人間に見せざるを得ない、というTL荒らしの言い訳も添えておく。

素直に生きることは恥ずかしいことだと思う。人前であけすけに自己開示する人間は通常、恥知らずだと思われるし、自分はそう思う側だった。今でも感情と欲望に素直に生きる自分に恥じらいを覚えているが、もはや、そういう恥ずかしいという感情にさえ素直になりたい思う。今までは恥ずかしいと思っていても、恥ずかしいと思っていることが恥ずかしいと思って、恥ずかしいと言わなかった。お得意の想像力と先読み力で、そうやって自分の感情に先回り先回りして、恥ずかしくない生き方をしようと努力していた。というのも、高尚な、無我の、仏のような人間になりたかったから。この欲望がそもそも厨二病で恥ずかしいのは置いておいて(友達に指摘されてようやく気付いたが僕はこうやってイカれた内面を抑圧してなおイタい人間だった)、とにかく自分は高潔な外見を手に入れたかった。ただ、それは自然体とはほど遠い。

しかしながら、僕は決して高潔であることそれ自体を放棄したわけではない。僕にはもっと重要な恥ずべきことがあり、それは人間としての正しさを失うことである。これは言葉にしたらうそになりそうだし、そもそも恥ずかしいので詳しくは書かない。とにかく、自分は人に対して誠実でありたい。それは、なくてもいいような誠実さを取り払っても多少無遠慮に生きてもなお残る誠実さである。この場合、自分はたしかに無理をしていない。僕の幸運は、環境の賜か、自然体でいた場合の性根が腐っていないことにある。

 

3月と4月と5月は就活をしていた。このときの記憶がぽっかりと抜け落ちている。記憶がなさ過ぎて二重人格を疑ったりもするが、それはたぶん考えすぎ。ルドルフが死んで、地元の大企業と教科書会社にすべて絞ったことだけは覚えている。2月は漠然と出版社をイメージしていて、嫌いな作品を売る気はないなと思って直前に校正に変えてちゃんと落とされたりしていたが、愛犬の死は今後自分の人生をどう生きたいかというのを直観的に、一瞬で、想像する機会を与えてくれた。俺は東京が嫌いだとか九州が好きだとかの以前に、会いたいときに会いたい人に会えないというのがとにかくストレスなのである。犬に関しても祖父母に関しても、たまには父母に関しても、これが最後かもしれないと考えながら別れていたから、死に目に会いたかったという後悔はゼロだった。が、僕は一人になりたいときと誰かと居たいときの気分の移り変わりが激しいから、そのタイミングに関係なく一定周期で、つまり年末年始やお盆に帰るというスタイルは向いていない。東京は嫌いではない。国立は大好きである。しかし何かの間違いでいつか東京で働くとしたら、タダ同然の感覚で飛行機を使えるくらいの稼ぎ手にした場合に限る。十分すぎるほど満たされている自分にとって、今足りないのはお金だけ。全員で酒を飲んで全員でタクシーで帰るのが僕の望む理想の未来だけど、それをノーマルにするのには金が足りなすぎるので今は諦めている。この望みは漫画で一発当てでもしない限り無理だろう。そうじゃないと家族に怒られる。

ちょうど就活が終わったタイミングで性懲りもなく物語を考えていた。もうきっぱりやめるつもりだったけど、そのすぐちょっと後に相方から連絡が来たので、まあこれも運命だと思ってのんびり続けている。今や、僕は構造的な芸術性とは別に、各具体的なパーツを自分の個人的な経験や願望に引き寄せて書いていることを隠していないから、前ほど気に病むこともない。前はキャラが自分の分身な気がして不愉快だったんだけど、今はキャラの強い登場人物が先に存在して、こういうところが自分に似ているなって思ったり、こういうところが自分には無くてうらやましいなとかかっこいいなって思ったり、そういう発見の仕方をするようになってきて適切な距離感が取れている。ま、結局面白いもの作るのが一番大変なんだけどさ。オナニーだけはするつもりなくて、じゃあなんで面白くて売れるものを創りたいんだろうってずっと考えてたけど、それは多分進撃の連載終了した世界がつまんないからだろうな。そもそも、進撃が名作扱いで終わっていることに我慢がならない。漫画には明確に「進撃とそれ以外」という区別があると信じているので。これは宇多田ヒカルとは明確に違う点で、宇多田ヒカルは別に他の誰かに貶されてもなんとも思わないというかまあ心々だからねとしか思わないが、進撃を面白くないと思う人間は本当に理解できない。正しくは、難しい・グロい・疲れる以外の理由は全く許容できない(むしろこの三つを認めているのは寛容だと思う)。ただ進撃の巨人と同じベクトルの作品の最大値は進撃がそれなので、別ベクトルにせざるを得ず、どうしよっかなーって感じ。まあ珍しく、数学に続くくらいは長く努力できている趣味なので、いいかなって思う。研究者人生は完全に閉ざされたけど、自分は真実に対してだけは昔から変わらず素直なので、いずれどこかで虚無ってただろうし、それもたいして関係が無い。むしろ、人生のどこかで必ず向き合うことになる苦しみを前借りできている気がして、それが不幸な結末になったらそれは残念だけれど、今はそれなりにポジティヴに捉えることができている。

 

6月は初めてまともにバイトをした。大学通りにあったそこそこ繁盛している飲食店である。これで特に人生観が変わったりはしなかった。僕は元からそういう場所で働く人を尊敬していたし、飲食店の苦労もそれなりに予想通り。ただ解像度が上がっただけであり、労働の当事者になること自体が重要だったのだと知った。この予想通りが実に不愉快で、自分が脳内で考えてきたことが基本的に正しいのだという自信は獲得したものの、あえて当事者になってもたいした学びはないのだという事実に心底がっかりさせられた。すなわち、行為というのは認識を書き換えるものでも認識を超えるものでもなく、ただクオリアを伴った存在として、ただただ在るだけなのである。という発見も、想像通りで――つまり発見ではなく確認に過ぎず――ざんねん。

そして何より、理屈をこねて「逃げていた」バイトを器用にできちゃうのが本当につまらない。運転だってそうである。やらない理屈をこねて、それが、本当は苦手だけどみっともなく言い訳しているっていうなら可愛げがあるけど、やってみたらできちゃって、そのしょうもない理屈にもある程度の正当性が保証されてしまう。それになんでも器用にできちゃうから、いつまでたっても苦労知らずのおぼっちゃまで、だから当事者になることができない。

 

7月は宇多田ヒカルのライブに行った。

楽しいという感情にそれ以上言語化の余地はない。楽しいというタイプの感情を抱くのは当然予想通りなのだが、どのくらい楽しいかという具体的な部分は予想がつくはずもない。宇多田ヒカルのライブは思ったより感動したし、夏のキャンプ・富士急・バーなんかはみんな、思ってたより楽しかった。

 

8月後半と9月前半はただひたすらにVALORANTをやった。こんなにハマったゲームでイモータルに行けないのが悔しくて、起きている間はほとんどやっていたと思う。僕はゲームの誘惑と自制でずっと生きてきたけれど、このときにはあらゆる自制をなくしちゃってたから(なくしたかったから)人生で初めてゲームをやりたいだけやった。いや、それまでもやりたいだけやっていたけれど、すべてを放棄してここまでやったのは後にも先にもないと思う。旅行とかやりたいことはいっぱいあって、そういうリア充な体験で人生を満たした方が一般的に「いい人生」なのかもしれない。その意味でゲームってのは人生の無駄だと思うし外にもアピールしにくい根暗な趣味だけど、俺はやっぱりゲームが好きなんだろう。ゲームをすることの後ろめたさから本当の意味で解放されたのは実は今年が初めて。

ゲームと勉強で悔しいと思えなくなったら人間として終わりだ。ちなみに、イモータル自体は10回の昇格戦に失敗して、完全に諦めてから、一週間経って軽く数戦潜ったら行けた。後述する「どうでもいい」のくだりもそうだが、僕は諦めて気を抜いて、身の丈に合った頑張り方をするくらいがちょうどうまくいくのかもしれない。

 

それとは別に、この時期は特に、素直な楽しいと苦しい希死念慮が行ったり来たりしていた。そして確かこの時期、気に入っている友達をダメもとでフランス旅行に誘っておっけーしてくれた。それからというもの、人生にかなりのバフがかかってる気がする。単純!旅行の日がめちゃめちゃ楽しみな一方で、終わって欲しくないので、来るな~って思ってる。

 

時間がないのでちょっと駆け足に。まあここら辺から、友達に多大な迷惑をかけながら(本当にありがとう)、割と素直に生きられるようになってきていた。

9月後半は高校時代の友達、学部時代の友達、母親が国立に来た。これらは突然に提案されて、当時タスクが切羽詰まってたけど、会いたかったから二つ返事で了承した。というか、切羽詰まってたけど、限界までVALOも創作も詩作もした。楽しすぎて疲れたから帰っていい?ができた。

10月と11月は資格勉強・運転免許・修士論文と今思えばとてつもなく生産的な時間を過ごした。これらのどれか一つを失敗すると春の就職が怪しくなるのだが、いかんせん要領がいいので何なら詩や物語を書きながらでも何とかなってしまった。ペーパーテストは久しぶりだったけど、高得点を取る快感はやはり健在で、VALOでも発散しているのだろう競争に対する男性的情熱はがっつり残ってる。最低限、身内以外はボッコボコにしたい。

12月に誕生日を迎えることができたとき、嬉しくって不覚にも泣いてしまった。そのときまでに生きることができたのは、どう考えても自分のおかげではなかったので、今まで伴走してくれた家族や友達に対してはっきりと感謝の気持ちが芽生えた。僕は誕生日に特別扱いされることが苦手だったけど、その感謝の気持ちを伝えたくて気が乗る場合においてのみ伝えた。僕の誕生日は僕が祝福される日ではなく、むしろ僕が感謝をする日なんだと、初めて思った。家族や友達の誕生日を祝いたいという対他感情とは全く別にね。祝われると恥ずかしいけど人の誕生日は祝いたいっていうふざけた人間ですまんな。

残りは修士論文を頑張った。ずっとやっていた自由論や権利論を離れて、熟議民主主義をテーマにしたけれど、結局数学的概念分析みたいなことをやってるので、「あ、やっぱこういうのが好きなんだな」という感じ。論文に時間を注ぐという当初の人生設計とはだいぶ真逆になっちゃったけど、

かくして、僕の最もつらい一年は終わった。最もつらい一年だったが、もし長生きできたら、そのときは、もっとも懐かしい一年になるような気がする。

 

一年を通して、本当に人情食堂にはお世話になった。フライ定食大盛りをひたすら食って、気分で餃子やポテサラやシメサバの一品をつけた。親父と同じ年齢の人情食堂友達もできた。いろいろお酒も飲ませてもらった。

食は大事。食は愛だ。腹へった。食べる。美味い。ごちそうさまでした。それ以上でもそれ以下でもないのが最高すぎる。人情食堂で毎月以上中学友達で飲んでいるのを見ると、将来に希望が持てるし、そういう空間をいつか作りたいと思うけど、この人情食堂は本当に奇跡のバランスで成立している気がする。だから淡い望み程度。

 

また、この一年は詩作をたくさんした。ツイッターより断然きしょいけど、3分の2は素面で書いてます。図書館でバイトしながら書くのは至福。一通のメールを書くのにも30分くらい見直してしまう自分にとっては、500から1000字程度の詩作ってのは「完成」させるのにちょうどいい。何より、ありのままで書いているがゆえに、むかしよりもずっといい作品が作れている。詩作自体は前からたまにやっていたけど、素直な気持ちを書けるようになったのは今年が初めてで、背伸びした感じもなく好きだから、今年を詩作デビュー年ということにしている。まあ、内容は恥ずかしいから誰にもみないで欲しいけど。お気に入りは、ドッペルゲンガーボトルメール、潮がひいていく、あとは星に宛てた遺書とかかな。いつか年を取れたときにこの情緒を思い出せるようにしたい。その意味で、詩作は精神の写真行為なのかもしれない。あ、写真もいっぱい撮った!でもインスタはキラキラしすぎててちょっと苦手。キラキラしてるみんなを見るのは楽しい。(ラーメンもキラキラに入ってますよ。笑)

 

いま、これまでで度々言及した「素直に生きること」について、語れることを語ろう。

詩作なりSNSなり(あるいは酒なり?)、たくさんの感情を言葉にするようになった一方で、それよりも、言葉をつねに遅らそうと努力してきた。楽しい。おいしい。好き。五感による外との肉的な接触に快不快から派生する感情が伴い、それが言葉というカタチになるのだけれども、とにかく快不快に近いものを重視したということである。

それと同じく、友愛と親愛と恋愛と性愛の言葉による区別をつける必要も次第になくなっていった。その区別がつくのは、おそらく生物学的な理由による家族との関係においてだけである。その区別が気にならなくなってきてからは、一緒にいて楽しいかどうか、心地いいかどうかだけかを一番気にするようになった。そういう、外をそのまま素直に受け取ることは割と心地よかった。

しかし、そうやってもいずれ必ず言葉はやってくる。あのときああすればもっと喜んでくれたかなとか、あの雑な一言で傷つけちゃったかなとか、あんなことして嫌われちゃったかなとか、過去の行動すべてに言葉による解釈を与えようとして苦しくなる。そして、友愛や親愛や恋愛や性愛などの、ポジティヴな関係性概念もそれと同じタイミングで来ているように思える。

肉体にもっとも近いのは今であるが、それが過去になればなるほど、その過去にアクセスする方法は記憶以外になくなる。その意味で、感じたことを素直に言葉にして記録することや伝えることは、肉体的な今をないがしろにすることにはならない。その意味で、ずっと自分が言葉によって愛していたのは過去ではなくて今だった。今はたちどころに過去になり、二度と返ってこない。自分が執着していたかに見えた過去というのは、かつて今だったそれであり、今への愛はそれよりはるかに自明に存在していた。今に不満があって過去を愛していたわけではないというのは、素直に自分と向き合って得られた大きな発見だった。

 

素直にってのは、ポジティヴなことばかりじゃない。不快もちゃんと重視した。例えば、人に対して素直になると言ったが、LINEが苦手なのは前からずっと本心。100回LINEするより一回会った方が楽しい。例えば、人になにかしてあげることは好きだけど、いつもそうだという訳ではない。人に会いたいときと同じように、一人になりたいときもまた不意にやってくる。Xにいろいろ書き込むけど、今はまだ独占していたい自分の思想や妄想をすぐに明け渡すつもりはない。今はもはや、それら全てを自分の気分に委ねたい。その分、相手との違いがはっきりして断られることも多くなると思うけれど、断られてショックとかの些事もわりとどうでもよくなっているのでラッキー。ただ、「親しき仲にも礼儀あり」だけは肝に銘じたいね。特に酒の席。

素直に堕落するということ。一日中スマホを見ていたい日もある。そういう怠惰を恐れる必要はない。なぜなら、僕は難しい専門書を読むのも大好きだし、外で散歩するのも好きだし、遠くへ旅したり友達に会ったりするのも好きだから、スマホを見続ける人生になることはあり得ないからである。まあ同じものを擦る性格はそうなんだが、スマホは質感がないというか記憶的価値がなさ過ぎて擦りようがない。これは僕の持つ数少ない自信なのかな。最近は気持ちよく夢が見れる。気持ちよくフィクションを読める。

 

もちろん、これまでに言ったような正直な感情を素直に口に出すとなるとやっぱり恥ずかしい。今書いてるこの文章がまさにそうか。酒を飲んでたらまだ言い訳が聞くとして、がっつり素面のときに書いている詩とかはなんだかんだ恥の頂点にある。まあ、そのくらいどうでもよくなっていたということでもあるし、生きるための工夫として受け入れることができている。いや、イタ過ぎて悲報だけど。でも消さないよ。どうだっていいから笑。生きるためなんだからしゃーないやん。死んだら周りがどうなるかなんてわかりきってるわけだし。だから未来の自分には悪いけど、この黒歴史を頼んだよーwww

 

希死念慮について。

まとめると、この一年で自分は、多少なりとも自分の感情や欲望に素直に生きられるようになった。これは大人になれない自分の弱さであり、もはや人生がどうでもよくなったからできたことである。冒頭で述べたように、僕はもういつ死んでもおかしくないと思って生きていた。通り魔に刺されたり不意の交通事故に遭ったりなど、肉体的な事故は明日にでも起こるかもしれない。それと同じように、不定期の離人症やぼんやりとした希死念慮は、精神における交通事故として、不意に訪れるものだと信じているからである。つまり、魂の事故の結果としての死が、自分には毎日予感されており、その事故は自分にも他人にも止められるものではないと思っていた。そしていつ死んでもおかしくないならば、ちっぽけな恥だとかは本当にどうでもよくなってしまったのである。

ここではじめて、長く自分を支配している希死念慮について、今あるふしぎな感懐を書くことができる。

希死念慮に抗うことを諦めた結果の「どうでもいい」という感情。その感情はたくさんあった恥のほとんどを失格させ、自分をある程度素直にすることを可能にしてくれた。ポジティヴな感情に素直になるだけでなく、ネガティヴな感情にも素直になれた。そして今、死にたいという感情にも素直になることができている。素直に自分に向き合ったとき、確かに、死にたいという感情にも嘘がないに違いなく、それはあえて否定するものでも否定されるべきものでもない。いつ唐突な死が訪れるかは分からないし、今は素直に長生きしたいと思っているが、自分は特別強力な理屈を以て希死念慮をどうにかしようとは思わないし、友だちにどうにかしてもらいたいとも思っていない。特に友だちに気を使われるのは不本意で、死への願望が日常への愛に由来しているとするなら、僕が欲しているのは慰みではないからだ。

一個不安なのは、死への恐怖を前ほど感じられなくなってしまったことだ。けっきょく、僕は人に死なれることが何より怖く、それは自分の死によって解決可能な悩みなのだ。この論理的な事実がとても恐ろしい。車を運転したり、ちょっと知らない道に入ってみたり、死にたくないと思う瞬間を大切にしたい。

 

そういえば、前回誕生日に泣いたのは6年前だった。そのときは家族と迎える最後の誕生日だと思ってこらえながら泣いた。本質は今も昔も変わっていなくて、単にそれを素直に外に出すか出さないかだけが変わっただけだ。しかしこれは、前述したように、大人になったのではなく、むしろ子供への回帰といえる。来年は純粋なものを純粋な形のまま外にだすという子供性と、社会に出てお金を稼ぎ家族を守ることと、なんとか両立させないといけない。

 

最後に、すこしだけ今を素直に生きられるようになった今日、自分がどうにかしたいと思っていたかつての失恋と喪失に対して、ひとつ素直に思っていることがある。僕は、そういった、好きだった人や動物を忘れることはできない。僕は中学3年のときにAさんに強烈な恋をしてあっけなく振られた。再び恋をしたのは高2の終わりだが、「最初の恋を忘れるまでは次の恋愛をしたくない」と強く思っていたことを覚えている。つまり、一途な人間でいたかった。その根底には、(恋人にはなっていないが笑)「恋人」という一つきりの枠があって、そこには一人しか入れたくないという考え方があったのだと思う。過去の恋愛をいつまでも引きずることに対する恥の意識もあった。言い換えれば、失恋によって空いた「恋人枠」という穴は、その穴をきれいに掃除してから、他の恋人によって埋めるものだと捉えていたわけだ。

しかし、Bさんとの新しい恋愛を始めたとしても、最初に空いた心の穴が本当の意味で埋まったことは一度もなかった。自分の気持ちに素直じゃなかった当時は、中学の恋愛をきっぱり忘れて今の彼女を愛する一途な人間を自認していたけれどもね。何が言いたいのか?その後Bさんとの恋愛が再び失恋に終わったときに、最初の穴とは別の穴がまた心にできた。それは、恋人という代替可能な「役職」がそもそもなかったことを意味している。もちろん、複数の人間と同時に付き合ってはいけないというような分かりやすい制約はあるにしても、自分のもつ友愛親愛恋愛性愛の最もプラトニックな部分を突き詰めると、自分は彼彼女らのことを単に好いていただけだ。それは「恋人として好き」を超えて、さらには「人として好き」を超えて、「Aさんとして好き」「Bさんとして好き」ということなんだと思う。

ルドルフの死で空いた穴は生前のルドルフにしか代替不可能であり、それはもはや代替ではなく、死者の代替という概念の不可能を意味する。だから、心の穴は次々に空いていくだけだ。空いた穴は二度と埋まらない。埋めたつもりになることしかできない。

しかし、基本となる心のカタチは愛する人間と関わり続けることで大きくなり続ける。たくさんの穴が空き続けても、心の体積は維持することができる。

結局何が言いたいのか?言いたいのは、過去の恋を引きずりながら新しい恋を始めてもいいということである。わかりやすく恋としたが、これにはペットでも宝物でもなんでも、大切な「枠」を当てはめてくれればいい。これは「心の穴」というワードに関する単なる言葉遊びで、実は当たり前なのかもしれないが、未熟な自分にとってはかなりびっくりの気づきだった。というか、そうでなければ、友愛親愛恋愛性愛の区別がいまいちつかない人間や、抜群に記憶力の優れた人間はいつまでも誠実たり得ない。その区別がつかないまま、過去の失恋を引きずったまま、思い切って告白してしまえばいい。というか僕はそれができなかったから何年もこのざまだ。幸いにも、人は過去をたまに忘れたりたまに思い出したりしながら器用に生きられるようにできている。

 

振り返りたいことはだいたい振り返った。今一番必要なのは素直な欲求を素直に実現するためのある程度のお金。一番足りないのがお金っていうのは、けっこう健康かも。でもよく考えたらそれって普通なんだよね。Xでも税金の話がよく流れてくるし。だからやっとみんなと同じスタートラインに立てたな。立ててたらいいな。

 

来年の目標。僕は、たぶん社会人になって、社会の理不尽で鬱になることはないと思う。むしろ、社会ごときが俺を鬱にできたら大したもんだ。俺にとっては愛する人間が死んだり失恋したり、抽象的な理想を求めて苦悶したり、そういう個人的な問題や自意識が一番の関心事で、それらさえも「どうでもいい」と思うようにしないと人生が持たないのだけれども、会社だとかそんなものは最初からもっとどうでもいい。いや、めちゃめちゃ本気で真剣に働くことは約束する。適当な仕事はしない。俯瞰者・認識者ではなく、当事者になりたいから。しかしそこでの失敗で死にたくなるかといったらそんなことはないだろう、そういう予想である。

あー疲れた。内容は悪くないはずだけど、推敲はあんまりできなかったし(後でこっそりする)形式はだいぶ駄文の部類。って言っとけば言い訳になるかな。いや言い訳してえ~