理想について

備忘録

20210319

異性を好きになるということはどういうことだろうか。ポジティヴな感情で頭を埋め尽くすことなのだろうか。ネガティヴな感情を抑えることなのだろうか。ネガティヴな感情をポジティヴな感情で上書きすることなのだろうか。ネガティヴな感情を受け入れることなのだろうか。繋がりとはなんだろう。

 

恋とはなんだろう。

もう何もわからない。馬鹿な俺が勝手に付き合っただけだったのだろうか。好きだったのかもわからない。好きってなんでしょう。好きと嫌いが同一対象に共存するこの世界で、好きに意味はあるのでしょうか。もしかして「恋は盲目」というより「盲目が恋」なのでしょうか。

 

嫌いだった。僕に似ていたから。僕は僕の欺瞞を見破る能力に長けている。自分の嘘をすぐに見破ることができる。自分の嘘をすぐに見破ることができるから、自分の嘘をうまく隠すことができる。自分の中に自覚的に内在化された数多の欺瞞はやがて相手の欺瞞を見抜くレンズになる。「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものである。そのせいで彼彼女の嘘がすぐわかる。人生のアドバイスなど意味がない。なぜならアドバイザー自身の人生を評価する行為でもあるから。自嘲など自尊心の表れでしかない。そう思っていたし、多分今もそう思っている。僕はまた嘘をつく。

 

そしてそれを喝破しても無意味なことも知っている。僕はプライドが高いから、そう思った。人に否定されたときにどんなに苦しいか。嘘で嘘を塗り固めてきた人間に引き返すことはできない。本能だから。この世界では、本能に従順な人間ほど理性を強め、本能に従順な人間ほど資本主義的成功を収める。彼は本能に従順だからこそ「良い人」だと言われる。あまりにも矛盾していて滑稽極まりない。

 

人を傷つけることが嫌いだった。それまで人を傷つけ続けてきたから。自分が傷つきたくなかったから。正確には、自分が傷つきたくなくなったから。耳にイヤホンをつけ、ありもしない虚構に身を委ね、現実にさよならする。

 

僕の教室のロッカーはいつだって汚かった。僕だけの世界だったから。誰も傷つかない世界だったから。ナンバーワンでもオンリーワンでもなんでもいいが、それ以外は心底どうでもよかった。

 

 

最初の話に戻ろう。恋とはなんだろう。わからない。あらゆる自分の繋がりがそこには詰まっている。家族が恋を作り、恋が家族を再定義する。友が恋を作り、恋が友を再定義する。恋が恋を作り、恋が恋を再定義する。同一の感情など存在し得ない。

 

あのとき、あれから、暇なときにお互いの顔を見ながら会話していれば、何かが変わっていたかもしれない。あのとき、ちゃんと繋がっていれば